不登校問題について

  不登校の諸問題について、筆者が居住する沖縄県を中心に述べてみたい。というのも、沖縄は不登校の原因と課題を、学校、家庭のみならず、社会全体に抱えていると思われるからである。

 ・沖縄の現状

 2022年10月、沖縄県内の複数のメディアが「小中学校の不登校過去最多4435人」1)と報じた。報道には2018年から21年度までの不登校者数、いじめ件数の推移が付されており、いずれも沖縄県は全国平均を上回っていた。また小学生千人あたりの不登校者数は全国で最も多くなっている。

 2023年2月の琉球新報の記事によると、21年度の那覇市内の不登校者数は「小学校421人、中学561人」2)となっている。県全体4435人に対する割合は22%であり、これは沖縄県全体に対する那覇市の人口比率とほぼ同じであることから、不登校者数が中心都市に偏っていないことが判る。また同記事には『心理的、身体的、社会的要因などで30日以上欠席した児童生徒から、理由が「病気」「新型コロナウイルス感染回避」などを除いた』2)とあり、これは不登校について文部科学省による調査での定義と同じ内容であり正確な数値と言える。

・原因と課題

 不登校の原因は様々あるだろうが、先ず「家庭の状況」を挙げてみたい。平成27年度の県教育庁の調査によると、不登校の理由として小学校では「家庭に係る状況」が最も高い値となっているからである。家庭の状況と一口に言っても様々であろうが、沖縄の県民所得は年241万円(2019年度)で全国では最低水準にあり、子供の貧困率は29.9%と全国平均の2倍以上である。一人親世帯も多く、貧困が不登校の要因となっていることは容易に想像が出来る。

 これに関連して、2023年4月14日の琉球新報に『ヤングケアラーと思われる小中高生、7450人と推定 沖縄県が調査、2450人は学業・生活に影響、支援急務』3)が掲載された。衝撃的な数値であり、この人数はそのまま不登校の予備軍であるとも言える。子供の貧困同様、問題の根本的な解決に結びつく対策が急務である。

 では次に、いじめについて見てみる。文部科学省の通知によると、いじめによる小・中学校の不登校児童生徒数は「約24万5千人」5)である。いじめが不登校の要因となっていることは明らかであり、沖縄のいじめ件数は全国平均を上回っている。2019年度のいじめ1,000人当たりの認知件数は全国平均46.5に対し沖縄は69.5とかなり高い値となっていた。この後に減少するが、その理由はコロナ禍により接触機会が減ったことによるものと考えられる。日常が戻りつつある現在、再び増加する恐れもあることから注視する必要がある。

 いじめに対応するにせよ、予防するにせよ、そこに欠かせないのが教職員の存在である。ところが、沖縄の教職員の「精神疾患による病休者は21年度199人で、過去10年間で最多、在職者数に占める割合は全国で最も高い1.29%」4)であり、2022年12月の県議会では県内の教員96人不足していることが報告されている。同年9月26日の琉球新報には心療内科に通院しながら勤務する教員の「スクールカウンセラーは非常勤で、子どもの相談時間もあまり取れない。自分のことを相談できるわけがない」という声が紹介されている。スクールカウンセラーの勤務日数を増やすことは早急に検討されるべき事項であると考えられる。また23年度より、沖縄県は教職員の精神疾患の原因調査、相談体制の強化に乗り出した。いじめといじめによる不登校を無くすためにもその成果に期待したい。

・終わりに

 筆者は沖縄県の生活・就職支援事業に従事しているが、相談者の中には不登校からひきこもりとなり就労困難となっているケースもある。不登校自体は問題行動ではない。社会との接点がなくなることが問題なのである。将来ひきこもりとなることを防ぐためには、フリースクールの活用など、他の選択肢の充実とその周知が、今後益々必要となってくるであろう。

[引用文献]
1)沖縄タイムス 『小中学校の不登校 過去最多4435人 沖縄 前年度より772人増 増加した要因とは』 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1048013(2022年10月28日)記事及び表
2)琉球新報 『那覇市立の小中学校、不登校1000人超 2021年度上回る 病気など「長期欠席」386人』https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1664318.html (2023年2月17日)
3)琉球新報 『ヤングケアラーと思われる小中高生、7450人と推定 沖縄県が調査、2450人は学業・生活に影響、支援急務』https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1694473.html(2023年4月14日)
4)琉球新報 『沖縄の教員、精神疾患での休職が199人 過去10年で最多、割合は全国ワースト』 https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1588702.html(2022年9月26日)
5)文部科学省 『令和3年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について(通知)』https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1422178_00003.htm(2022年10月27日)

[参考文献]
・一般社団法人日本ソーシャルワーク教育学校連盟(編)『現代の精神保健の課題と支援』中央法規出版 2021年
・沖縄県教育庁義務教育課(編)『不登校児童生徒への支援の手引き』沖縄県教育庁義務教育課 2020年3月
・内閣府:人材育成に係る沖縄振興審議会専門委員会合配布資料『小中高の現状、課題』沖縄県教育庁 2017年3月15日 https://www8.cao.go.jp/okinawa/siryou/singikai/senmoniinkaigou/1j/01j-041.pdf
・内閣府:沖縄の子供の貧困対策に向けた取組 資料『子供の貧困に関する指標(沖縄県の状況)』内閣府 https://www8.cao.go.jp/okinawa/3/kodomo-hinkon/shiryou/kodomo-genjou5.pdf
・文部科学省初等中等教育局児童生徒課発行『不登校への対応について』文部科学省初等中等教育局児童生徒課 https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/futoukou/main.htm 2003年6月
・琉球新報 『沖縄の教員、精神疾患での休職が199人 過去10年で最多、割合は全国ワースト』 https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1588702.html (2022年9月26日)

宮古島狩俣の神謡から想うところ

 宮古島狩俣の神歌について、2000年、24歳の頃に執筆した記事である。特に書き直すことなく、以下そのまま掲載する。

 宮古島の北端に近いところ、そこに狩俣という小さな集落がある。そこは、神と人とが共存している数少ない集落である。

 狩俣の神謡(ニーリ)を知ったのは、以前勤めていた出版社から出されていた谷川健一の「南島文学発生論」であった。それ以前から幾度も読んでいた黒田喜夫の評論にも登場するが、ニーリについて「知った」と思えたのは、谷川健一氏の著書と出会った時だったのである。
 それからというもの、何故か私はこのニーリの虜になってしまっている。どこかアイヌの神謡(カムイ・ユーカラ)に似ているからだろうか。私の現在の琉球への関心と想いは、まさしく、このニーリと出合ったときから始まる。ここでは出来うる限り簡潔にニーリについて述べてみたい。そして読者が、ただのリゾートとしてではなく、沖縄戦の歴史は勿論、それ以前より伝わる琉球の調べに触れる旅をしていただけたなら、それ以上に嬉しいことはない。そこには忘れられた大和と、ひっそり呼吸を続ける琉球とがあるはずである。

 狩俣のニーリは、「祓い声」(ハライグイ)と呼ばれる村建の謡から始まり、七つのニーリが次々と謡われていく。ニーリが謡われる状況はというと、狩俣の中心であるムト(元=神社の原始的な場所の小屋)である、ウプグフムト(大城元)に村の男達が入り、酒を飲み、寝て待つ。すると突然怪しげな声とともに、ウヤガン(祖神)と呼ばれる老女たちが現れ、小屋の戸や壁をたたき出す。男達が目覚め、戸を開け、外を見る。するとそこには、神々が月明かりのなかで謡い、踊っている。ウヤガンは十四の神謡を明け方まで謡い続ける。男達はその途中で当然眠ってしまい、目覚め帰路につく。ざっとこのような感じである。

 神事を司るのが女性であることは、琉球の他の地方と同様である。だが、ここには明らかに二重の神話が存在する。一つはまさにウヤガンたちの謡うニーリである。このニーリは、狩俣の祖神である神々一柱一柱の事蹟を謡った叙事詩である。事蹟というのは実は正確ではない。というのも、今まさに神が活動しているさま、つまり現在形で謡われているのである。そして、あるニーリでは、始めは三人称で謡われているのが、いつのまにか一人称になる。恐らくその瞬間に、神は歌い手に依り憑くのだ。またニーリは説明的でもあるので、現在形のほうがより効果的である。そして、神話が現在形で謡われる限り、それらはまさに今この時を謡うものとなる。今こそが始まりの時なのである。神話が現在形で謡われる社会では、変化することを嫌う社会であることと通じている。社会のあり方がニーリによって定められており、その通りにしてゆけば、安定した生活をしてゆけるというわけである。二重の内の一つ目の神話は、進歩を否定することから始まったのである。

 二つ目こそが非常に興味深い。ニーリを聞き、目覚めた男達のその後である。何しろ始めは戸を明けると神が依り憑いた老女達が歌い踊っているのである。それが明け方まで続くものだからとうとう眠ってしまうわけだが、眠っている最中は神々の歌声をBGMにしてしまっているのである。目覚めてからが大変である。彼等は家に帰るなり、昨夜神を見た、その声を聞いたと言い出す。これは当然集落中に噂として広まる。これが二つ目の神話である。

 と、ここまで紹介したのが、狩俣の冬祭の模様である。これとは別に、男達がニーリを謡う夏の豊年祭がある。といっても矢張り神事は女性が司るので主役は男ではないのだが、こちらの豊年祭のニーリでは狩俣の農耕の歴史を総て聞くことが出来る。

 琉球を素晴らしいと思う何よりの理由は、こうした神話や風習がしっかり生活に根付いていることである。こうしたものが残っている理由は、琉球が地理的にしか支配されてこなかったことにあるように思う。明や島津藩、明治政府、そして米国。これらは、貿易の中継点であったり、軍事的支配であったり、場所の確保が目的のものであったので、人びとの習慣すべてを変えるに到らなかったのではなかろうか。
 しかし、本土復帰後の沖縄に対し、日本は経済的支配を行っている。本土企業は次々に沖縄へ進出し、島全体をリゾート化していった。依然として巨大な米軍基地は存在しているわけだから、軍事支配と経済支配との両方をうけていることになる。日本本土を見ればよくわかると思うが、方向性を見失った経済社会の発展はそれまでの民衆の文化を根底から覆す。各地で行われている祭りは、最早ただのイベントとしかいえないものが多い。

 かつて、アイヌのあらゆる文化が同化政策によってすべて滅ぼされた。復帰後、沖縄も同じ様な運命をたどっているように思えるのは間違いであろうか?何度も述べたが狩俣のニーリは現在形である。新しい神話が誕生してもいい。日本津々浦々、現在形で歌っていただきたいものである。このような理由から、忘れられた大和が、確かに狩俣には存在している、そう感じるのである。

安売りされる沖縄の労働力②

 前回の記事の続きである。今回はもう少し詳しく沖縄の貧困の現状を考察してみることとする。

 国税庁の調査によると、日本人の平均年収は432万円だそうである。では沖縄はいくらなのだろうかと、総務省の統計資料を元に算出された各市町村の数値をざっと見てみる。すると那覇市で317万円、浦添市と宜野湾市で284万円、沖縄市は280万円、うるま市247万円、南城市240万円となっている。最も高いのは北中城村で363万円である(北中城村の年収が高いことの理由は後述する)。ところが、厚労省の調査だと2018年の沖縄県の平均年収は369万円だそうである。県全体の平均年収が、最も高い自治体の平均年収よりも上回っている…何とも奇妙ではあるが、実際に生活している者としては総務省の数値が妥当であると感じる。
 そしてこの数値は平均値であるから、中央値はさらに低くなることは容易に想像がつく。日本人の年収の平均値が432万円に対し、中央値はおよそ360万円と言われてもいる。単純にこの割合を沖縄に当てはめれば、市町村によっては中央値が200万円を下回る自治体も存在すると考えられる。
 一般的に年収とは税金が引かれる前の総支給額のことである。ここまで記載してきた数値はすべて総支給額だ。年収200万円前後から年金や所得税が引かれた手取りである。生活するにはかなり厳しいはずだ。

 本当にそんなに低いのか?そういう疑問が出てきても不思議ではない。
 Bloombergに掲載されたノア・スミス氏の記事によると、日本では年収が国民所得の中央値の半分以下の人の割合、つまり相対貧困率は15.7%だという。仮に中央値が360万円だとすれば、6人に1人が180万円以下の所得となる。中央値の値が不正確かも知れないが、平均年収の半分が216万円であるから大きく間違っているとも思えない。
 また、内閣府沖縄振興局の平成29年9月の報告「沖縄の子供の貧困に関する現状と取組」によれば、「沖縄における子供の相対的貧困率は 29.9%となっており、全国では七人に一人が貧困状況にあるのに対し、沖縄では三人に一人が貧困状況にある」とある。沖縄の現状が深刻であることは明白である。
 では実際に沖縄の求人を見てみると、日本を代表する大手広告代理店の沖縄支社のサイトに中途採用の募集要項が掲載されており、そこにはこうあった。

年収242万円以上
(月給内訳)
基本給16万円+固定残業代4万2000円(超過勤務30時間分)

上記とは別に賞与があるというが、基本給16万円の3か月分の賞与があったとしても年収は290万円である。これが給与形態の下限値であるとしているが、募集要項より大きく上回って採用することは想像しにくい。下限16万円の基本給をいきなり20万円で雇用となれば破格の扱いなのではないだろうか。この企業の株主には大手広告代理店の本社の他、沖縄の主要メディアが名を連ねている。要するに有名企業であり、この条件は沖縄では悪くない方であると私は思う。これ以下の条件で雇用する企業が多いと実感しているので、先ほど挙げた沖縄の平均年収の低さにも頷けてしまうのだ。ただし、この企業の本社社員の年収は日本国内でもトップレベルであることから、前回の記事で述べたようにこれも地域格差の一つであると言える。その社名を聞けば「あの会社の系列なのにこんなに安いの?」と多くの人が驚くことだろう。
 さてもう1点、募集要項に「固定残業代」とある。いわゆる「みなし残業代」である。沖縄の求人欄でも急激に増えてきた。数年前どこかのセミナーで、「残業代のトラブルを解消する方法」としてこの「固定残業代」が紹介されていた記憶がある。一人雇うのに月に20万円の支払いが可能だと考えた場合、その20万円の中に残業代も組み込んでしまえばトラブルは起きないというのである。そのためには総額が20万円になるように基本給が下げられる。この場合、雇用する側は残業をさせても支給額が増えないようにしているだけにすぎず、いわば残業代不払いの隠れ蓑でしかない。「残業をしなくても支給される」という労働者側のメリットは実質ないのである。また賞与があったとしても、その査定基準は下げられている基本給とされるケースが多い。
 こうした背景には、残業代を支払っていない企業が多いことがあると私は考えている。2年前、那覇市に本店を構える老舗文具店の経営者が、残業代不払いで逮捕されたとの報道があった。沖縄では有名な企業であり、経営状態も悪くはないと思われるが残業代は不払いであった。私が知っている限りでもこうした企業は多く存在する。他にもたくさんあるだろうと思わずにはおれないのである。

 結局のところ、「低賃金こそが問題」「沖縄ほど経営者が強い県はない」という結論に達してしまうのであるが、労働力を安売りしているのは他でもない沖縄県民であるとも言える。残業代不払いにしてもそうだが、労働者側が声を上げていく必要がある。今、沖縄の労働者の多くは「沖縄は所得が低いから」と諦めているようにも思える。また、多少羽振りの良い業界で働いている者や高所得者は、低所得者の生活を見て満足しているかのようでもある。諦めと慢心が蔓延っていては何も進展しないだろう。特に諦めからの脱却が必要であり、そのきっかけとなる政策を、各自治体の議員は模索するべきである。

 さて北中城村の平均年収が高い理由についてだが、正直よく分からない。2017年の平均年収が287万円でその翌年は363万円である。この急激な上昇の原因が分からない。ただ、北中城村は県内の他の市町村と比べても平均年収は高い方である。その理由の一つとして、高級住宅街のあることが挙げられると思う。北中城には海を見渡せる高台があり高級住宅街となっている。村外から移住した高所得者もいることだろう。
 少し前のデータではあるが、総務省発表の「2013年 住宅・土地統計調査」から北中城村の世帯年収割合を見ると、300万円未満の世帯が51%を占めている。これは同じ年の浦添市の割合と同じである。全体的に裕福なのではなく、所得格差が大きいことは間違いないようである。

安売りされる沖縄の労働力①

 改めて沖縄の貧困について考えてみると、どうしても「賃金の安さ」が真っ先に浮かぶ。今から9年前に書いた記事「沖縄生活事情」でも所得が低いことを取り上げた。その中で私は、『「幻想の島 沖縄」の著者大久保氏は「低賃金こそが問題」「沖縄ほど経営者が強い県はない」としているがそのとおりである』と書いた。この実感は今も変わらない。むしろ状況は悪くなっているのではないだろうか。

 沖縄県は県外から企業の誘致を積極的に行っているから、WEB関連の業務やコールセンター等を沖縄に開設する大手企業も増えている。数年前、そうした企業の説明会に参加したことがあるのだが、そこで聞かされた言葉に、私は驚愕した。
 説明をしていた役員の男性は「何で沖縄に事務所を開くかというと、ぶっちゃけて言えば人件費が安いからです。東京で人を雇うとバカにならない…」と語っていた。包み隠さず本音を語ることで信頼を得たかったのであろうが、私には逆効果であった。
 この発言は「安く働かせたい」と宣言しているようなものであるから、恐らくまともな昇給は望めない。入社前から「安い給料で働け」という企業に就職することほど愚かなことはない。入社以前に泣き寝入りの状態なのであるから、長く続けられるはずもないだろう。
 しかし、このような企業が多く沖縄に進出してきているのが現状である。大手企業のコールセンターで働いている知人からは、「同じ仕事をしているはずなのに県外の事務所と自分たちとで給料が違う」といった不満が社内にあると聞かされたことがある。
 説明会に話を戻す。役員の話の続きに私はさらに驚かされた。どこまでが本当かは分からないのだが、「人件費が安い地方を探していた時、沖縄県の企業誘致の担当者と話をした。そこで人件費が安いことを耳にした。本社と沖縄営業所との移動代が出るなど、県からの補助もある。『沖縄ってすげぇ!』と思った」というのである。これが本当であれば、沖縄の労働力を安売りしているのは他でもない沖縄である。これが本当ではないにしても、県民の税金から補助金を出している先は「沖縄の労働力を安く買う」企業であることに変わりはない。
 「沖縄ほど経営者が強い県はない」が、それは沖縄の経営者だけではなくなった。確かに、企業誘致をすることで求人倍率は1倍を下回り完全失業率も改善されてはいるが、それは同時に沖縄県民を安く働かせる企業が増えたのだとも言えるだろう。大多数の沖縄県民の生活は決して楽になってはいない…それが私の実感である。

 こうした状況は沖縄だけではないのだろう。7月30日の沖縄タイムスには最低賃金が全国平均901円になるとあるが、東北地方、四国や九州南部の最低賃金を見ると沖縄とほとんど変わらないようである。翌日の琉球新報の記事には、『県内コンビニのオーナーは、最低賃金が26円上がった場合、1カ月当たり4万円以上の人件費が増加すると試算する。「深夜手当はさらに1・25倍の賃金が上乗せされる。経営がギリギリの店舗は大変だろう」と話す』とある。この話からは沖縄県内のコンビニでは「最低賃金、もしくはそれに近い時給で雇っている」ということが見えてくる。そして求人誌を見ると、それはコンビニのような販売スタッフだけではなく、他の職種にも散見される。最低賃金で雇い続けてきた企業や店舗と言うのは、やはり「経営者が強い」のだろう。そして最低賃金が沖縄と同程度の県でも同様なのだろうと想像してしまうのである。

 首都圏に暮らしていた頃の私の感覚は、「最低賃金で雇うなんてありえない」「最低賃金で求人広告を出すなんて恥ずかしい行為だ」というものだった。法が定める最低の基準である。これに近い金額で求人広告を出している企業があれば「この会社は大丈夫なのだろうか?」と思うことだろう。「だろう」としているのは一般的な求人では見たことがなかったからだ。
 一方、人件費削減を念頭に置いている企業側からすれば、ただでさえ最低賃金が高いというのにその金額で雇いにくいとなれば、最低賃金が低く、しかもそれに近い金額で雇える地域に目をつけるのもある意味当然だと言える。
 政府は「働き方改革」の一環として同一労働同一賃金を掲げ、同一企業内において、正規雇用労働者と非正規雇用労働者との間で、不合理な待遇差を設けることを禁止する法律「短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律」(いわゆる「パートタイム・有期雇用労働法」)を施行した。これは評価出来ることではあるが、地域格差は未だ解消されてはいない。
 安い人件費を求め、沖縄など最低賃金の安い地域に子会社を開く。例えばそれが保険の相談窓口で、他の県でも同じ業務をしている関連会社があれば、同じ系列企業で同じような仕事をしているはずなのに給与が違うということになる。関連企業とはいえ別会社であるから雇用条件が違っていても何も問題はない。そして子会社の上役には本社から出向で来るパターンで、彼らの給与は沖縄の社員には夢のような額なのである。
 対策として「最低賃金の全国一律化」を唱える人もいるけれど、経済界からは強い反発があるだろうし、地方から撤退する企業が相次げば失業率が高くなることも予想される。しかし、真に同一労働同一賃金を目指すのであれば、そうした課題があることも踏まえて、地域格差の解消に取り組むべきではないだろうか。

※このテーマについては近いうちにPart2を執筆します。

沖縄生活事情(2010年)

 近いうちにいくつか沖縄の貧困をテーマにした記事を書きたいと考えているので、その前に、2010年に書いた「沖縄生活事情」を記録しておきたい。長々と、全文そのまま引用しておく。

 沖縄は県民所得全国最下位の県である。
 沖縄振興開発事業費で毎年2000億円以上の予算が組まれ、軍用地地主におよそ800億円の土地代が毎年支払われているにも拘らず最下位である。さらに思いやり予算として毎年2000億円以上が米軍にあてられ、間接的ではあるが、米軍及び米兵が沖縄に落とす金があるにも拘らずである。米軍基地問題を語るとき、しばしば「アメとムチ」という言葉が使われるが、アメを口にするのはごく一部の人で、庶民はムチばかり打たれるのである。しかしムチを振り上げるのは米軍だけではない。
 

【何故県民所得最下位なのか】
 一言で言えば、給料が極端に安いからである。大抵の都道府県では、最低賃金で人を雇うことは少ない。求人広告に最低賃金での給与を掲載していたら恥ずかしい限りである。だが沖縄ではそれがまかり通る。しかもこれは沖縄企業に限ったことではない。全国展開している大手運輸業者の沖縄営業所の求人広告を先月目にしたときは、事務員で11万円台、配送員は12万円台であった。時給にすると650円前後、場合によっては最低賃金以下になるかもしれない。
 私はこれまで多くの沖縄の経営者と拘ってきた。彼らに機会があるたび「何故もっとスタッフに還元しないのか」と尋ねてみると、返ってくるのは決まって「沖縄は物価が安い」、「そんなことしたら会社がもたない」という言葉である。では彼らの経営する会社は「危ない」のかというと、そんなことはない。少なくとも私が知るこれらの会社は、ここ8年潰れてはいないし、そのほとんどが年商2億円以上である。中にはここ8年で沖縄県内に2店舗から7店舗まで大幅に事業拡大した小売業者もある。しかし給与は変わっていないようである。
 「幻想の島 沖縄」の著者大久保氏は「低賃金こそが問題」「沖縄ほど経営者が強い県はない」としているがそのとおりである。同著によれば、沖縄県内の売上高経常利益率は全国平均の1.7倍なのである。特に観光と情報通信は全国平均のおよそ3倍であるから、県全体で見れば、企業の経営状態は悪くないのである。しかし、求人広告には15万円以下の基本給が目立つ。断っておくが、沖縄では年齢にかかわらず、初任給が完全週休二日で18万円以上であれば悪くない条件である。さて、基本給が15万円だとして、昇給が年1回5千円あったとしても、月給が20万円を超えるのは10年後だ。当然のことながら、この給与の中から所得税や健康保険、厚生年金、市民税などが控除されるのだが、残った手取りで生きていくのは独り身でも楽ではない。それでも厚生年金や社会保険に加入していればまだ良い。未加入のままの企業も多いのだ。先ほど挙げた小売業者の場合も、3年ほど前と変わっていなければ、スタッフは20名以上で雇用保険以外は一切未加入である。
 最近の若者は働く気力が足りない、とよく言われるが、沖縄の場合はそれもそうだと私は納得できる。家族構成によっては生活保護よりも安い給与で働きたい人がどこにいるだろうか?
 この劣悪な雇用条件だと、人は雇われることに馬鹿馬鹿しくなる。であるから「自分で始めよう」とする者が多い。起業も倒産も他県に比べて多いのはこのためである。

【沖縄の物価は安いのか?】
 残念ながら安いとは思わない。私は沖縄の前には首都圏に暮らしていたが、衣食住、どれを比較しても安くは無い。家賃を東京と比較すると安いと言う人が多いが、東京の通勤圏と比較すること自体が間違いだ。電車30分で銀座や新宿に出られる地域と、車で30分かけて那覇に出られる地域とを比較することがおかしい。生活条件がまるで異なる。ちなみに那覇中心街に30分というと、私の暮らす浦添市くらいだが、各部屋6畳の2DKで家賃5~7万円が相場である。県民の所得を考えてみてもこれは高いと私は感じる。那覇からさらに遠ざかれば安い地域があるのも確かだが、それは各都道府県、田舎は安い。
 生活費を語る上で最も解せないのが電気代である。沖縄復帰特別措置法があり、莫大な減税を許されている沖縄電力だが、電気代は全国と比較して最も高いのである。火力発電が99%であるから高額であるのも致し方ないが、減税されている分を沖縄電力は県民に還元していると言う。つまり特別措置法がなくなれば、さらに高くなるのだ。これは、ガソリン、酒類、航空燃料費も同様である。そして私が不安なのは、特別措置法によりガソリン等が他県より安い事実を、知らない沖縄県民が意外にも多いということだ。
 次に食費である。大抵の沖縄県民は食費は安いと自負している。地場の野菜や魚介類が安いのは全国どこでも同じなので、比較にはならないのであるが、日本人の主食である米をスーパーで見ると、なるほど確かに安いものが目に入ってくる。5kgで1500円以下である。しかしよく見れば複数原産米である。他県からすると信じられないことであるが、複数原産米とは、コシヒカリやササニシキなど、ブランド米の余り物をブレンドした米だ。であるので、一つ産地のコシヒカリなど「普通の米」は、県外のスーパーと同じ、或いは輸送費のコスト分いくらか高いようである。
 沖縄は食費が安いのではなく、「安い物が売られている」と言える。千葉の漁港に揚がるアジほどの大きさしかないホッケや、年中解凍された秋刀魚が魚コーナーに並ぶ光景がそれを物語っている。冷凍された売れ残り秋刀魚が沖縄に流れてきているに違いない。1尾38円など、信じがたい金額がついていることもあるくらいだ。
 ただし、これは所得が低いことに対する売る側の企業努力でもある。同時に、移住するまでは気づかされなかったが、本土ではこれだけ「食べ残し」ているのだと思い知らされる。

【急速な開発と損なう景観】
 私が移住した頃は、那覇市おもろまちがまだ整備されていなかった。糸満市では西崎の開発が終わった程度であったが、この8年で豊見城で大規模な埋め立てがあり、糸満市も市役所移転に伴い大規模な埋め立てが行われた。東海岸でも西原町から与那原町にかけて、東浜と呼ばれる新興住宅地がやはり埋め立てにより建造された。そして那覇市のおもろまちには高層マンションや大型量販店が並び、県や国の重たそうな建造物も出来た。そのほか地域振興や産業支援型の大型建造物や、浦添市のてだこホールや国立劇場おきなわなどが現れた。まさに今、沖縄は箱物ラッシュの過渡期にある。見境なく建造し続けるさまは、本当にここは観光で成り立とうとしている県なのかと目を疑う。地域産業の集まりや、選挙演説などでは「本土に追いつき追い越せ!」という言葉が頻繁に聞かれる。「本土」とは一体日本列島のどの部分を指して言っているのだろうか。
 私は仕事柄日本全国多くの都道府県に赴いてきたが、建物と物の多さは、地方の県と比較すると、とっくに追い越していると思う。
 沖縄では8人に1人といわれるほど建設業界で働く人口が多い。この理由は本土復帰の歴史とも関連があり、長くなるので詳述を控えるが、建設事業はそのほとんどが昔も今も国からの補助金による公共事業だ。この補助金がなくなれば新たな建設にも歯止めがかかるのであろうが、同時に今あるホールなどの施設の運営もままならなくなるのは必定であり、建設業界も倒産が相次ぎ、さらに失業者が増えるであろう。だから建て続けるのだろうか。何とも言えない悪循環である。そして私が危惧するのは、返還後の普天間である。おもろまちのようにはならないと良いのだが。

【挙げればきりが無い沖縄生活事情】
 書き出してみるときりが無い。これが正直な感想である。であるので、今回は私個人の視点による生活事情の一部を書き連ね、ここで終いとする。
 最後に一言付け加えておく。沖縄には「沖縄のために自分に何か出来るのか?」と考える人が多く存在する。これは素晴らしいことではあるが、同時に、沖縄のために今の利便性を捨てる覚悟も必要となる時期が、すぐそこに迫っているのも事実だ。もっとも、沖縄本島すべてを小さな東京にしてしまいたいのなら話は別だが。

2018年の県知事選を振り返る

 沖縄のどうしようもない貧困を見てきた。基地問題よりも経済を優先する候補者が当選した時も「仕方ないか」と思ったものである。しかし昨年9月の知事選は違った。

 県知事候補の一人、佐喜真氏が市長をしていた宜野湾市は財政難にあって職員が不足している、といった話が耳に入ってきていたのである。
 そして昨年、1989年から長年開催されてきた「ぎのわん車いすマラソン大会」が宜野湾市社会福祉協議会の人手不足などが理由で中止となった。2020年に東京パラリンピックを控え、沖縄にはメダル獲得が期待される有力選手もいる。この絶好の機会に、イベントを盛り上げることが出来ないばかりか中止となったのである。基地問題を抜きに考えても佐喜真氏には任せられないと感じた。

 県内外を問わず、世間では基地問題ばかりが大きく報じらていたが、私の周囲では判断基準はそればかりではなかった。
 ある知人は「今回はデニーに入れる」と言っていた。理由は公約に掲げている「通学バスの無償化」だという。「実現しないかもしれないけれど、もしそうなったら助かるさ」 2人の子供を持つ父親はそう語っていた。一方の佐喜真氏が掲げていた公約「携帯電話料金4割削減」については「絶対に実現しなさそう」と感じたそうだ。
 手取り15万円前後で働く30、40代も少なくない沖縄。基地問題は近すぎて、あまりに遠い。

 基地問題を語るとき「アメとムチの構図」とよく言われる。この構図が成立する条件は「貧困」だ。沖縄が揺れ続けてきた根本的な原因は「貧困」であるのかもしれない。今回の県民投票はどう揺れるのだろうかと、気がかりでならない。

米軍ヘリ墜落事故について①

 以下に掲載するのは、2004年8月13日、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した事故の翌月、9月1日に沖縄タイムスに掲載された短文である。

  米国で同時多発テロが起き、自衛隊のイラク派遣が問題となった国会で「日本国内も例外ではない」という声があったと記憶している。起こるかどうか解らないテロで、憲法を軽視してまで派遣したのである。そして起こってしまった、8月13日の米軍ヘリ墜落事故。事故というが被害を受ける側にはテロと大差はない。これは米軍による公然たるテロリズムである。
 起きてしまったにも拘らずその対応は9.11とは異なる。日本政府も加害者であるからだ。今、安保条約を見直さなければ、最悪の事態は間違いなく起こるであろう。国内でのテロよりも確立は高い。
 私を含め、県民感情は「怒」と「恨」に支配されている。だがこれらを超えたところに真の理性はあるのではないだろうか。9.11と8.13とで全く対応が違う政府を、今、変えねばならないのである。我々の感情もまた、急がねばならないところにある。

2004年9月1日「沖縄タイムス」より

 当時私は「公然たるテロリズム」と使った。この「公然たるテロリズム」とは、黒人意識運動の指導者スティーブ・ビコが使った言葉である。
 米軍による事故は、国家によるテロリズムだと私には思えた。これが自動車の交通事故ならば、故意であろうが過失であろうが、加害者は罰せられるが、米軍機による事故はそうではなかった。当時の様子はまた別の記事にまとめるけれども、今思い出してみても、あれは紛れもなく「公然たるテロリズム」であったと思う。

2006年夏、沖縄米軍事情

 これから先、基地問題について語っていく上で、過去に私が書いた文章を掲載しておきたい。
 間違っている個所もあるだろうし、当時推測した内容が現状とはまるで異なっていることもあるかもしれない。しかし自分で見て感じたことを再確認したいという意図もあるので、そのまま掲載しておく。
 2006年に書いた「2006夏・沖縄米軍事情」である。

「2006夏・沖縄米軍事情」

 普天間飛行場以南の米軍施設の返還が話題になっている。普天間の名護市への移設について、沖縄の人々は日本政府とアメリカ政府に騙されたと感じているのだが、全国規模ではそうした報道が見受けられないのである。

 当初、日米両政府の説明では、簡単に言えば、普天間基地を返還、航空部隊の大部分をグアムに移転、残りを名護市へ移設、というものであったと記憶している。グアムへの移転については米政府がその費用、100億ドルの内の大部分を日本政府に要求したことは記憶に新しいところだ。そして名護に新たに建設される空港は軍民共同利用という予定であった。そうなれば明らかに沖縄に残存する米軍規模は縮小される。だが、それがある日一変した。
 名護に新たに建設される空港は軍事利用のみとされ、大規模なものが建設されることになったのである。1本の予定であった滑走路はⅤ字滑走路に変更され、普天間飛行場よりも大掛かりな空港が建設されようとしている。

 ここで問題になるのがグアムである。普天間と同等、あるいはそれ以上の空港を建設するのならグアムへの移転は従来の予定での規模では必要ないはずである。にもかかわらず、グアム移転についての規模縮小はされないままなのだ。
 名護の空港が完成したとしよう。恐らく戦闘機の飛行回数は最初のみ普天間を下回るであろう。だが、大規模なⅤ字滑走路を米軍が遊ばせておくとは考えにくい。徐々に、あるいはある日突然戦闘機の数も、飛行回数も格段に増えてしまうであろうことは容易に予測が出来る。今、発表されているのは普天間からの移転の数のみであって、新たに米国本土から移転されてくる数や他の基地から訓練で飛来する数等は一切語られていないからだ。
 古くなった普天間飛行場を捨て、新たにより最新の設備を搭載した軍事飛行場を建設するだけなのだ。これは断じて返還や縮小などではなく大幅な拡大である。
 そしてさらに100億ドルかけてグアムにも新たな基地を建設するのである。この大規模な基地は、普天間が縮小ではないのだから米軍にとっては新たな基地となる。新たに兵士を雇用することも出来るし、戦闘機なども購入できるのだ。しかも建設費用の大部分を日本が出資するのだからアメリカにとってはなんとも美味しい話である。沖縄は日米両政府にいいように騙され、事が運ぼうとしている。

 騙されたのは沖縄だけではない。岩国でも同様の詐欺行為が行われたのだ。岩国市では現在、空母搭載機の飛行訓練が行なわれているが、その滑走路は住宅街から1kmも離れておらず、住民は移設を切望していた。長い年月を経て、日本政府は今の滑走路をさらに海側へ移設することを岩国市へ発表、市民や関係者は喜んだ。発表後、この問題に関わってきた岩国市の人は、政府に感謝するとまで述べたのだが、ある日突然、今ある滑走路はそのままと発表された。移転ではなく増設であったのだ。当然飛行回数や騒音ははるかに増すことは避けられない。

 これだけの詐欺を行なっておきながら、政府は今ある機体数を分散し、と語る。施設が増えるのだから今ある数で計算すれば騒音被害も軽減すると言うのだ。しかし、本当の決定事項を伝える直前まで、地元の反感を買わないように異なる発表を行なう政府をどうして信じることが出来ようか。「夜は飛行しない」と言うが、私の家の上空は深夜でも早朝でも低空飛行が行なわれている。名護に移設しても、飛ぶに決まっている。そしてそれらは、ほとんど日本国民に知らされることがないのだ。

普天間の固定化という脅迫

 基地建設に反対する人に向けられる声の中に「辺野古移設を認めないと普天間が固定化する」というものがある。
 仲井真氏が県知事であった時、公約をひっくり返して辺野古沿岸の埋立を承認したころから、安倍内閣はまるで思いついたように「普天間基地の危険性の除去のために」と声高に連呼し始めた。
 それまでは普天間基地の危険性すら認めていなかったので、基地に反対する人の中には、「辺野古移設を進めるための口実ではないか」と半信半疑ながらも、「普天間を危険としたことは評価したい」と考える人もいたくらいだ。
 これが今では「辺野古移設を認めないと普天間が固定化するぞ」という脅し文句のようになっていて、こうした声は、特にニュースサイトのコメント欄やSNS上で目立っている。
 しかし、そもそも普天間返還が日米合意となったきっかけは何であったのか?そこを見直すのに実に分かりやすい記事があったので紹介したい。

 2015年1月10日、産経新聞に掲載された記事、『【ニッポンの分岐点 番外編(上)】〈普天間移設〉防衛庁長官も知らされなかった極秘指示 その時、橋本首相は賭けに出た』の冒頭にはこうある。
『平成8年2月(~中略~)首相に就任したばかりの橋本龍太郎は、初の日米首脳会談で大統領のクリントンに普天間飛行場の返還を切り出した。これが普天間移設問題の起点だ。きっかけは5カ月前にさかのぼる。7年9月、沖縄で米海兵隊員による少女暴行事件が起きた。日米地位協定の制約で隊員の身柄が起訴前に引き渡されず、県民の怒りが爆発。沖縄の反基地感情が大きなうねりとなった』
 つまり政府が動き出したきっかけは、海兵隊員による少女暴行事件に対する沖縄県民の感情であったのである。そしてこの後、日米で返還が合意されるのだが、記事の最後にはこうある。
『ただ、沖縄だけは手放しで喜んではいなかった。普天間飛行場の機能を県内に移すことが返還条件とされたからだ。』
 このことからも、合意直後から沖縄は県内移設に反対していたことが分かる。

 確かに普天間基地は危険な存在である。これはまた別の記事にまとめるけれども、米軍ヘリが沖縄国際大学に墜落した様子を目の当たりにした者として、私は「軍事空港は人が暮らす近くにあってはならない」との思いを強めた。だがそれ以前から、海兵隊の怖さを感じ続けている。日米合意のきっかけとなった少女暴行事件も、記憶に新しい2016年のうるま市強姦殺人事件も、海兵隊員ないし海兵隊に所属していた者の犯行であった。もちろん全員とは言わないが、海兵隊は明らかに空軍や海軍の人たちとは様子が違う。
 普天間基地が辺野古に移設されたところで、海兵隊は沖縄本島に駐留し続ける。それも日米地位協定の見直しもないままだ。これでは過去に起きた不幸な事件が繰り返されるかもしれない。このことは、私が辺野古移設に反対する理由の一つである。
 そして「辺野古に反対なら普天間が固定化する」という脅し文句は、私には「海兵隊を沖縄に固定化する」と言われているようにしか聞こえないのである。