スティーブ・ビコは思うに、あらゆる差別問題に完全な解答を示して見せたたった一人の人物である。彼が南アフリカで行った「黒人意識運動」は、ガンジーの非暴力、キング牧師の温厚な考え方、マルコムXの大胆さ、すべてを兼ね備えたものであった。
それは、まず、白人の教育を受けた黒人に植え付けられた劣等感を取り除くことからはじめ、その上で白人と対決し、黒人を白人と同じ人間であると認めさせる。さらにその上で、白人と黒人の共存が実現するというものである。単純なことのように思えるが、差別問題に取り組む場合、これまでのものは、劣等感をまず取り除くことから始められたことはない。結果的には差別者を敵とし闘うものばかりだ。ビコは、間違いなく、マルコムX、キング牧師、ガンジー等かつての指導者から学び、それら総てを取り入れた全く新しい運動を展開した。
キング牧師の場合、劣等感を取り除くのではなく、白人を愛せと説いた。白人にも理解ある人はいることに目をつけたのだ。白人を憎んでいない我々を白人が憎む理由は無い、というものがキング牧師の考えであった。マルコムXは、白人と黒人では、全く異なるのだから共存ではなく、黒人の意識を、黒人が最初の人間であるというイスラムの教えに見出そうとした。これらを見事に融合させたのがビコである。
だが、ビコにも「対決」は避けることの出来ないものであった。黒人の意識を変えたうえで白人と対決する、と語る彼に裁判の席で、「あなたの言う対決とは暴力を生まないか?」という問いが発せられる。これに対しビコは「今、私はあなたとまさに対決している。ここに暴力はない」と言ってのける。非暴力による言葉による「対決」の宣言である。それ程に、彼は、強力な武器である「言葉」と「哲学」を所有していた。当時の白人による南アフリカ政府が、ロベン島に監禁されていたネルソン・マンデラを生かし、同じく監禁されていたロバート・ソブクエより、真っ先にビコを殺害したのは、まさしく彼の力量を恐れたからに他ならない。
最後に、ビコの文化への定義は次のようなものである。
文化とは、本質的に人生の様々な問題に対する複合的な解答である
人種差別に拘わらず、社会のあらゆる問題はこの「複合的な解答」を目指せば解決するはずだと私は考えている。これを目指さない社会、政府は病んでいるとも思う。またこの病は、嘗ての南アフリカのようにだってなりえるだろうし、第二次大戦中の日本のようにだってなりえるとさえ思う。たった一言なのだが、社会に対する考え方の根本を私はスティーブ・ビコの著書から教わった。当時の私はまだ10代であった。早くにビコに出会えたことは正しく幸運であったと言わねばならない。
【後記】
上述の文章は、1999年、24歳の時に書いたものである。ビコの文化の定義は、今も私の根底にある。
日本は、特に現在の安倍政権になってからというもの、「複合的な解答」を目指さない政治が続いているように思えてならない。