「辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票」について、姉妹ブログ「路地裏のランナー」に記載したのでそのまま引用する。
2月24日の県民投票まであと1週間ほどとなりました。
https://run-0318.blogspot.com/2019/02/blog-post.html
沖縄で走る私にとっても大事なことですので、私自身の考えを記録しておきたいと思います。
先ず県民投票の実施そのもについてですが、私は大きな意義があると考えています。
「先の知事選で民意は示された」、「税金の無駄遣い」といった意見も多数あります。
しかし、この投票は県全体だけではなく、自治体ごとにも集計できます。
投票所ごとに集計されるなら、地域や集落ごとにもです。
普天間基地の移設という大きな出来事について、各市町村や地域で、どれだけの人が賛成だったのか、そして反対だったのか、後世にしっかり残すべきだと考えます。
そして私は「反対」に投じます。
その理由と、疑問に感じていることを以下記述します。
・軍用飛行場は、住宅の近くにあってはならない
沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した事故を、私はすぐ近くで目撃しました。
機体が爆発炎上した光景を見て、私は「誰かが死んだ」と思い恐怖しました。
あの事故で、軍用飛行場は県内外に関わらず人の住む場所にあってはならないと、強く思うようになったのです。
辺野古にも人は住んでいます。
学校もあれば保育園もあります。
辺野古への移設は、普天間の危険性の除去ではなく危険性の移設でしかないと考えます。
政府は「陸地上空を飛ばない」としていますが、米軍の視点で考えてみると、陸地を飛行しない訓練に訓練としての意味があるのでしょうか?
名護市内の他の地域、東村や宜野座村など周辺自治体の上空も飛行すると思うのです。
「では普天間はどうするんだ?固定化していいのか?」という意見もあるようですが、普天間基地を本当に「世界一危険な飛行場」であると思うならば、辺野古移設以前に、即座に閉鎖すべきです。
私は以上の理由から、普天間だけでなく、嘉手納、岩国、横田、厚木、三沢などの基地のあり方も変えるべきだと考えます。
言うは易しであることは重々承知しています。
・辺野古に基地を建設したら普天間は返還されるのか?
最も疑問に感じていることです。
稲田朋美氏が防衛大臣だったころ、国会で「米側と協議、調整が整わないようなことがあれば、返還がなされないことになる」と答弁しました。
後に否定したものの、普天間基地の返還条件の一つに
「普天間飛行場代替施設では確保されない長い滑走路を用いた活動のための緊急時における民間施設の使用の改善」
とあるのは紛れもない事実です。
どの空港が使われることになるのか、全く不明です。
そして「緊急時」の定義がよくわからないこと、もしかしたら現在建設中の那覇空港の新滑走路がそれなのではないか?という疑問が生じることから、政府が度々口にする「地元の理解」と「丁寧な説明」は不十分であると判断します。
また、辺野古が建設されても普天間が返還されない可能性があるのであれば、辺野古に基地を造る意味はありません。
・海兵隊は沖縄に必要なのか?
私は平和主義者ではないかもしれない。
しかし私は反戦の意志を貫きたいと考えている者です。
その私が、百歩譲って軍隊の存在に口をつぐんだとしても、海兵隊だけは沖縄にいてほしくないと考えています。
海兵隊が起こす事件が圧倒的に多いからです。
沖縄で仕事をしていると、米軍との関りを持つことがあります。
また米軍の本当の姿を知りたくて、彼らが通う店に足を運び、幾度となく言葉を交わしたこともあります。
そして私は「海兵隊は違う」と結論付けました。
辺野古に移設したところで、海兵隊が沖縄本島にいる限り、いずれまた凶悪な事件が起きるのではないかという不安があります。
国防のためには米軍が必要だとするならば、せめて海兵隊だけは県外に持っていってくれと切望します。
切望しますが、それでも「沖縄に必要だ」とする声があります。
昨年、沖縄県振興拡大会議において、県内の全市町村が国に要望する共通事項の第一項は、「日米地位協定の見直し」でした。
全市町村です。
それこそオール沖縄の声です。
仮に「必要だ」とする声が国内の大多数を占めたとしても、日米地位協定の見直しすらないまま海兵隊を沖縄に駐留させること、また駐留させようとするその姿勢を、私は容認することが出来ません。
「普天間基地(海兵隊)がなくなれば中国に侵略される」というような中国脅威論を目にすることがありますが、これは論外だと思います。
普天間基地がなくなれば中国になってしまうという主張は、沖縄に駐留する米空軍、海軍、自衛隊が全くの無力であると言っているに等しい。
それはなかなか考えにくいことです。
・最後に
他にもたくさんありますし、上記3項目の内容も書き足りないのですが、あまりに長くなるので(もう充分長いので)ここまでとします。
冒頭にも述べましたが、今を生きる私たちの判断を後世に残すことには大きな意義があると思います。
一人でも多くの方が投票することを願うばかりです。