今再び、高島善哉について

 1999年、25歳になったころに私は「氷点下の思潮」というWEB個人誌を立ち上げた。その当時、「高島善哉先生のこと」という短い記事を書いているので先ずお読みいただきたい。

「高島善哉先生のこと」

 学生の頃、神田の古本屋で偶然手にとった本が高島善哉の「時代に挑む社会科学」だった。開いてみてほんの数行読み、それが計り知れないほどすぐれた評論であり、自分が必要としていた“ことば”であると実感した。以来、高島善哉の本に夢中になり手に入るものはすべて読みあさった。

 これもまた偶然ではあるのだが、本にある著者紹介に高島善哉は一橋大学の教授をしていたとあった。私の祖父は一橋大学の卒業生なのである。祖父に高島善哉を知っているかと聞くと、当時、学生の間では大変人気があり、そして信頼されていた先生だと教えられた。祖父はちょうど学徒出陣の時代に学生時代をおくっている。あの学徒出陣の直前、学内で発行されていた新聞に高島善哉のことばがあった。その新聞は祖父に見せてもらったものであるのだが、高島善哉は誌面で戦地に赴かなければならない学生へ語りかけていた。「生きて帰れ、諸君の未来は戦後にある」と。

 文面からは、高島善哉の戦争への怒りと、学生を戦地へ送らなければならないやりきれなさが見てとれた。時代が時代なだけに、直接的な表現が出来はしない。実際、彼自身すでに軍部から目をつけられていた人物でもあった。死んで来いという狂気な命令を下す軍に対しての、精一杯のことばが「生きて帰れ」であった。恐らく、学生は皆、そこに含まれている総ての意味と感情を読み取ったろう。50年を経て、戦争を知らない私が読み取ったのだから。

 戦争時代をくぐり抜けた社会科学者高島善哉の戦後の研究はすべて、平和とは何かということを念頭においたものと私には思われる。

そして高島善哉のことばは、生涯私の胸に響き続けるであろう。

「もし、現代が国際化の時代であるとするならば、何故国際化は人類の平和につながらないのであろうか。もし現代が情報化の時代であるとするならば、何故情報の豊富が人々の心をこのようにかき乱すのであろうか。もし現代がハイ・テクノロジーの時代だとするならば、何故技術の進歩がこのように人々の肉体を疲労させるのであろうか。」
「地球の裏側が夜であるように、平和の裏側は戦争である。あたかも防衛が攻撃との双生児であるように、平和は今、戦争との双生児である。これはまさしく全人類的なグローバルな危機ではなくて何であろう。」

 以上が「高島善哉先生のこと」全文である。最後の引用は岩波書店「時代に挑む社会科学」からであり、高島はこの後にこう続けている。『この事実を否認できるような現代人は、おそらく現代人の意識を持たない人種だけである』と。なぜ今再び私が高島善哉に注目するのかと言えば、現在の日本では、高島の言う「現代人の意識を持たない人種」が溢れかえっていると思えてならないからである。

 高島善哉は1986年に出版された「時代に挑む社会科学」のまえがきに、『口では自由とか民主主義とか人権とか個性化とか男女同権とか、いろいろ取り沙汰されても、実践では事も無げに無視されている』と記している。最近、元総理の女性蔑視とも受け取れる発言が話題になったが、それを批判する声も、その解決策も表面的なものだという印象を私は受けた。無視され続け四半世紀が経過してしまったのだろう。

 このような状況で、はたして現在の科学は時代に挑んでいると言えるだろうかと考えたとき、再び高島の言葉が脳裏に浮かぶのである。高島によれば、市民制社会とは市民の社会であり、それは同時に資本の社会であり、さらに同時に労働の社会でもある。それを歴史的な表現にすれば、「市民の時代」は「資本の時代」であり「労働の時代」となる。であれば、「時代に挑む」とは、市民、資本、労働の在り方を問うことではないだろうか。まるで戦争の足音が聞こえてくるような殺伐とした今、まさに欠けているものであり、最も必要なことであると思えてならないのである。