普天間の固定化という脅迫

 基地建設に反対する人に向けられる声の中に「辺野古移設を認めないと普天間が固定化する」というものがある。
 仲井真氏が県知事であった時、公約をひっくり返して辺野古沿岸の埋立を承認したころから、安倍内閣はまるで思いついたように「普天間基地の危険性の除去のために」と声高に連呼し始めた。
 それまでは普天間基地の危険性すら認めていなかったので、基地に反対する人の中には、「辺野古移設を進めるための口実ではないか」と半信半疑ながらも、「普天間を危険としたことは評価したい」と考える人もいたくらいだ。
 これが今では「辺野古移設を認めないと普天間が固定化するぞ」という脅し文句のようになっていて、こうした声は、特にニュースサイトのコメント欄やSNS上で目立っている。
 しかし、そもそも普天間返還が日米合意となったきっかけは何であったのか?そこを見直すのに実に分かりやすい記事があったので紹介したい。

 2015年1月10日、産経新聞に掲載された記事、『【ニッポンの分岐点 番外編(上)】〈普天間移設〉防衛庁長官も知らされなかった極秘指示 その時、橋本首相は賭けに出た』の冒頭にはこうある。
『平成8年2月(~中略~)首相に就任したばかりの橋本龍太郎は、初の日米首脳会談で大統領のクリントンに普天間飛行場の返還を切り出した。これが普天間移設問題の起点だ。きっかけは5カ月前にさかのぼる。7年9月、沖縄で米海兵隊員による少女暴行事件が起きた。日米地位協定の制約で隊員の身柄が起訴前に引き渡されず、県民の怒りが爆発。沖縄の反基地感情が大きなうねりとなった』
 つまり政府が動き出したきっかけは、海兵隊員による少女暴行事件に対する沖縄県民の感情であったのである。そしてこの後、日米で返還が合意されるのだが、記事の最後にはこうある。
『ただ、沖縄だけは手放しで喜んではいなかった。普天間飛行場の機能を県内に移すことが返還条件とされたからだ。』
 このことからも、合意直後から沖縄は県内移設に反対していたことが分かる。

 確かに普天間基地は危険な存在である。これはまた別の記事にまとめるけれども、米軍ヘリが沖縄国際大学に墜落した様子を目の当たりにした者として、私は「軍事空港は人が暮らす近くにあってはならない」との思いを強めた。だがそれ以前から、海兵隊の怖さを感じ続けている。日米合意のきっかけとなった少女暴行事件も、記憶に新しい2016年のうるま市強姦殺人事件も、海兵隊員ないし海兵隊に所属していた者の犯行であった。もちろん全員とは言わないが、海兵隊は明らかに空軍や海軍の人たちとは様子が違う。
 普天間基地が辺野古に移設されたところで、海兵隊は沖縄本島に駐留し続ける。それも日米地位協定の見直しもないままだ。これでは過去に起きた不幸な事件が繰り返されるかもしれない。このことは、私が辺野古移設に反対する理由の一つである。
 そして「辺野古に反対なら普天間が固定化する」という脅し文句は、私には「海兵隊を沖縄に固定化する」と言われているようにしか聞こえないのである。