ボルヘスJorge Luis Borges

私が思潮社という出版社に勤務したての頃、海外詩文庫では「ボルヘス詩集」が新刊として出たばかりであった。新刊なので興味津々であったが、「若者が読むような本じゃない」と言われ、他の本ばかり読み、結局読まず仕舞いであった。

ここ数年、ようやくボルヘスの作品をいくつか読む機会があったのだが、なかなかどうして、一度読んだら忘れられない作品が多い。中でも私が傑作だと思うのは、「アレフ」という短編小説である。「アレフ」が書かれたのは1949年のことなのでボルヘス(1899~1986)が丁度50歳のときである。Borges

作品に登場するダネリという人物がいるのだが、このダネリは主人公の死んだ女友達の従兄弟で、詩人である。主人公はダネリに誘われて、近いうちに取り壊される家の地下室にある、先祖代々伝わる「アレフ」という物体を見に行くことになる。さて、このダネリだが、ボルヘス自身を投影させていると見てよい。作中でダネリについて書かれた言葉、

彼の苦哀を察し同情することには、私にとってさほど困難ではなかった。50歳を過ぎた人間には、あらゆる変化が時の経過の忌まわしい象徴となるからである。

は、まさに丁度50歳になろうとしているボルヘス自身の感情を表している。

さてダネリは、詩によって地球を隅々まで詩(うた)いつくすことを己の欲望とする詩人である。彼は、詩集を出版するにあたって、有名な文豪に推薦の言葉をもらいたいのだが、そこで主人公に口をきいてもらいたいと考えている。主人公からすると、女友達の従兄弟でもあるので、なかなか断れない。そしてダネリは、自分の詩が完成するためには「アレフ」のある家が不可欠であると言い、主人公を呼び出す。

ここで気になるのは「アレフ」とは何か?である。ダネリによれば「アレフ」とは、あらゆる角度から見られた地球上のすべての場所が、混乱することも融け合うこともなく凝集している場所であり、そこでは主人公の亡くなった女友達ペアトリスにも会えるという。

さて主人公が見た「アレフ」は、眩いばかりに輝く玉虫色の小球体で直径は2~3m、全宇宙が縮小されることなくそのまま包含されている、ものである。ここでは、今後読まれる方のためにも詳述を控えるが、奇怪、グロテスク、懐かしさ等、様々な光景が描かれている。ボルヘスは不思議な「迷宮」のような小説を好んで執筆しているが、「アレフ」もその中のひとつである。

詩集に関して言えば、確かに「若者が読むような本じゃない」と言えなくもないが、小説は全く異なり、年代を問わない。そして、年末より「アバター」という映画が大ヒットを記録しているが、どれほど仮想現実の映像化が発展しても、ボルヘスという一人の詩人の言語的世界には及ぶものではないと思う次第である。