黒田喜夫Kio Kuroda

1950年代の初め、日本では結核の治療に何年もかかっていた。そのためか、療養者向けの雑誌も多数刊行されていたようである。健康誌でありながらどの雑誌にも大抵文芸欄があり、入院中の人々が詩や俳句を投稿するのである。これらの詩歌はセンチメンタルで不快なものが殆どなのであるが、とある誌面に、やや大きめに紹介されていた詩があった。他の療養中の詩とは異なり、モダニズム風に書かれたその詩を読み、感心した人物がいた。瀬木慎一である。瀬木はその投稿者に手紙を書き、それからその無名の詩人との文通が始まった。詩人の名は黒田喜夫。

若い頃の黒田の詩はモダニズム風ではあるが、内容に農民運動の生々しい体験が盛り込まれ、混沌としたものが多い。だがフランスの抵抗詩を読むようになってから、黒田の詩が変り始める。混沌さが失せ、急速に形を整えてゆくのだ。その頃の詩を、瀬木は「列島」に送る。関根弘はその作品に驚愕。巻頭に掲載されることになる。これが黒田のデビューである。

その後の黒田の執筆活動は凄まじく、かなり無茶なことをやっていたと言える。無茶というのは、例えば評論「彼岸と主体」などがそうだが、黒田は徹底的に思考するのである。これは説明的な評論を主体とする吉本隆明と異なる。黒田の評論からは、黒田が脳に刃を突きたた痕跡が見られる。それはまるで、自分の思想を見るために書かれたようでもある。「俺の思想とは何か?」評論を執筆しながらそのように問い続けていたように思えてならない。それほどまでに痛々しく、生々しい。もっとも黒田の評論は、大抵の場合、巻頭に詩を掲載しており、その詩世界の散文であるともいえる。単なる評論ではない。

黒田の詩のテーマは一貫して「飢え」と「変革」、時に「死」である。黒田は私にとって「毒虫飼育」であり、「ハンガリヤの笑い」であり「除名」である。そして最も想いが傾くのが「空想のゲリラ」である。殆どの評論家や詩人が黒田を農民詩人だという。農民運動をしていたからなのであろうが、「空想のゲリラ」を読むと私にはそう思えない。運動であるのなら「空想」は好むまい。農民詩人であるのなら現実に土着して夢を持ち込むことはないと私は考える。黒田は確かに農民運動をしていたのだが、運動に空想を持ち込むことで、虚構のゲリラを展開させていたのだ。農民運動は黒田にとって、結果的には想像力を飛躍的に向上させるきっかけになったと言える。他人はどう言うのか判らないが、黒田の最高の作品を「空想のゲリラ」とする私にはそう思える。因みに、この「空想のゲリラ」を執筆していた頃の日記が、現代詩文庫の巻末に付されている。若い頃より死に到るまで常に闘病生活であった黒田の日常がそこに書かれているのだが、とても実際のゲリラなど行なえる状態ではない。
「飢え」と「変革」について黒田は書く。

変革の政治にとって、飢えの利用は必然であり正当だとさえいえるが、それはその内なる自己否定の思想契機を必須としてだけの正当さだ。
人は生きるためには変革のみちにすすみつつ、また同時に生きているために変革のみちにすすむことが不可能なのである。われわれにあって変革の思想の最強の敵は、おそらくは生活の思想であり、飢えの思想であり、人が変革のみちからしりぞくのは、人が実在の生を生きている理由によってなのだ。

黒田がここで言う「生きる」とは生物として生きるという程度のことである。「生きる」ことと「思想」とをこのように捉えていたとすれば、「空想のゲリラ」が生まれたのは必然である。黒田にとって言葉は、生きるための武器ではない、思想のための手段でもない。それでも黒田は「詩を書け!言葉は武器だ」と言う。黒田にとっての言葉は「空想のゲリラ」そのものである。だがそれは、断じて生きるためではないのである。それゆえに、黒田喜夫、あなたほど強く生きた詩人を、私は知らない。

【追記】

現在の私達にとって「生きる」とは何か?黒田亡き後の日本は、豊かに生きることで、飢えることに飢えていたようにも思える。この豊かな精神の飢えが、分裂と狂気を引き起こしている。もうそろそろ完全に崩壊してしまうであろう。黒田の本を開くと常にそう思う。