断腸亭日乗と戦中の荷風

最近私が読み直した、永井荷風の「断腸亭日常」は、39歳から67歳までの彼の日記で、原稿用紙にしてざっと3000枚に及ぶ大著である。

この日記が注目されたのは、昭和22年頃である。このころ出版されたものは、昭和16年から19年のものであり、日に日に深刻になる戦時下の情勢が、日記という形式で詳述されており、それが人びとにもてはやされる原因となったといえる。

永井荷風

もとより、荷風の文章は卓越したものであるし、戦災のたびに荷風が住居を転々としなければならなくなる箇所などは、凄惨を極め、当時を知らぬ私でも胸打たれるものがある。また、「予は五六歩横町に進み入りしが、洋人の家の樫の木と予が庭の椎の大木炎炎として燃え上り、黒烟風に渦巻き吹きつけ来るに辟易し、近づきて家屋の焼け倒るるを見定むること能はず、唯火焔の更に一段烈しく空に舞ひ上るを見たるのみ。これ偏奇館楼上下万巻の図書、一時に燃え上がりしためと知られたり。」などの文章は、実によく書いているものだと感嘆するばかりである。

しかし、読み進むにつれて、確かに胸打たれる箇所もあるのだが、それよりもなによりも荷風の文章の上手さばかりが目立つように感じたのである。そうした箇所では、書かれていることへの実感は、当然沸いてこないのだ。荷風自身大変な思いをしたこともあったのだろうが、まるで世捨て人のような心持で、世間を眺めては楽しんでいるようにすら感じてしまうのである。恐らく、荷風の文章力がそうさせるのであろうと思うが、私の鑑賞力が低いことが原因ではないかとも思う。

しかし、それもまんざら間違っていないのではないかと思える箇所もある。例えば「食物闇値覚書」では、白米一升金拾円、酢一合金壱円、醤油一升金拾円、鶏肉一羽金弐拾五円などとある。これだけのものを購入できるだけの生活ではあったのだろうし、よく調べてみると、東京の闇値としては比較的安価のようである。他より安く買えるのだから幸運な状況にあったといっても差し支えないのではなかろうか。

そしてさらに、盆暮れには贈り物があったことも記されているし、米味噌醤油などをもらったことや、遠隔地より郷土の名産が送られてくることも少なくないと記されている。こうした状況の中で、荷風は「浮沈」、「来訪者」、「勲章」、「問わずがたり」などの優れた作品を執筆しているのである。小説家が執筆できる状況というのは、矢張り恵まれている環境といえるのである。そして、執筆中の日記であることを考慮すれば、世捨て人のような心持で記したとしても、何ら不思議ではないのである。