宗左近炎える母

宗左近の詩集に「炎える母」というものがある。これは、いわゆる戦争詩と呼ばれるものの中で、最も私の記憶に残るものである。この詩集に収められている「サヨウナラよサヨウナラ」を紹介する前に、宗左近の自伝「わだつみの一滴」からの一部を引用したい。

五月二十三日夜、アメリカ空軍の空襲で原宿の家が一冊の書物みたいに、あっけなく焼けあがった。五月二十五日夜、寄寓先の四谷左門町のお寺の離れが、同じくアメリカ空軍の空襲で焼けた。逃げ出したとき、わたしと母は炎の海のただなかに取り残された。手と手をにぎりあって、炎の海のなかを走った。どこまでも走った。掌がずり落ちた。わたしだけが、なおも走った。わたしは母を置き去りにした。わたしは、わたしを生んで育ててくれた母を殺した・・・

身体中白い繃帯にまかれたわたしは、翌朝、四谷左門町の焼け跡の石の上に座っていた。わたしは母を殺した。自分を殺すことのできないニヒリストのわたしは、兵隊となって敵の手によって自分を殺すこともできず、また敵を殺すこともせず、母を殺した。受動と能動の中間のニヒリストのわたしは、自分と他人の中間者である生みの、育ての母を殺した・・・

では、次に「サヨウナラよサヨウナラ」から一部を紹介しよう。

見えている炎の海はたちさったけれど
見えない炎の海があふれかえっているのだから
サヨウナラはないサヨウナラはいいえない

ああ炎えあがり炎えあがりつづけている母だから
わたしのまるごと垂直に宙に吸いあげられてゆきかねない
この白すぎる朝を焼きおとすために
この光すぎる中空を煙らせるために
サヨウナラはいわないサヨウナラはいいえない
わたしは炎されつづけてゆかなければならないのだから
サヨウナラぐるみ炎していったもののためにわたしは
サヨウナラぐるみ炎されつづけてゆかなければならないのだから
懐かしい母の乳房の匂いのする
サヨウナラはないサヨウナラよサヨウナラ
幼い日の夕焼けの染めている
サヨウナラはないサヨウナラよサヨウナラ

宗左近独特のコンストラクトとリフレインが重層化され、言葉は意味を持ちつつ意味を失い、呪文のようでもあり、音楽のようでもあって、昇華してゆく。

この後、宗左近は縄文詩シリーズを書き続ける。「炎える母」を読む以前の私は、ろくに読むこともせず、縄文時代へのロマンがこうした詩集を書かせているのかも知れないなどと勘違いをしていた。実際は、これらの詩集は、死んだ母と、戦争で死んだ友と、縄文時代の死者とを貫通する、とてつもなく長い鎮魂歌であった。宗左近という詩人は、市川市の市歌や、様々な学校の校歌の作詞を手がけるなど、縄文詩シリーズのほかにも活発な活動を行っているが、やはり縄文詩シリーズが最大のライフワークとなっているに思う。恐らく彼は、最後の最後まで、戦争体験から逃れることができず、鎮魂歌をつくり続けなければならないのであろう。一人の詩人が、そこまでしなければならなくなった体験をさせる戦争が、かつてこの国にあった。縄文詩シリーズは、私に、書かなければならない言葉とは何か、書くべき言葉とは何か、そして読まれなければならない言葉とは何か、を考えさせるものなのである。