神田の記憶

東京都千代田区神田は、古本屋街でもあることから学生時代に幾度も通った街である。最初に私がこの街に行くようになったのは、今の三省堂書店のならびにビクトリアレコード店があったからで、確か三階に行くとLPのフロアだったのを記憶している。現在はこのビルはゴルフ店になっていたろうか。近くにはすずらん通りの入り口があり、通りに入ってすぐに古いビル(二階建てだがれっきとしたビル)があって、その一階にじゃがいもや玉葱といった少しの野菜、雑貨や古本など、何を中心に販売しているのか判断しにくい店があった。しかも品数が豊富なわけではなく、店内にはかなりの余裕があったのを記憶している。今はこの店ももうないのだが、神田で「生活」を感じさせる数少ない店の一つで妙に懐かしい。すずらん通り

生活といえば、すずらん通りには昔(恐らく昭和三十年代頃まで)、すみれ湯という名の銭湯があったと聞いている。「すみれ湯ってのはさ・・・」と話してくれたのは青土社の清水前代表だったろうか。午後三時頃になると、白水社や筑摩書房、小学館、岩波など一流どころの出版社の編集者が湯船にプカプカ浮いていたそうである。情報交換もここで行われていたようだが、夕方になると彼らは社に戻り、「今日も原稿もらえませんでしたよ」と上司に嘘をつくのだ。上司の中には「君は随分血色がいいな。若いってのはいいもんだ」などと言う人もいたとかいないとか。この付近、三省堂書店の裏側の路地にラドリオという小さな喫茶店がある。夕方からは喫茶店ではなくバーになる店である。編集者がたまに真面目に原稿をもらってくれば、大概、その帰りにはこの店によるのである。勿論ここで一杯引っ掛けて帰社するのだ。「今日は原稿もらえました。先生にお酒飲まされてしまって・・・」と上司に報告するのである。現在の多忙な出版社事情しかしらない私には夢のような世界の話であった。

私のいた思潮社という出版社は昔、このラドリオの向かいの小さな二階建ての昭森ビルに入っていた。ラドリオ十三段の階段を上がった二階には、昭森社という「本の手帖」や美術書を出している出版社の他に五社入っていて、その中の一つが思潮社だった。当時のことを思潮社にいたころ聞いた記憶がある。ビルの名前でもある昭森社でさえ社員一人で、「ユリイカ」をだしている青土社、「現代詩手帖」の思潮社は社長一人机二つで作業して、その奥に二社、フランス語とロシア語の教材を出している出版社があって、あと一つ、元陸軍少佐の営む出版社「ニューヨーク・タイムス社」があったそうである。「元陸軍少佐がアメリカの時事を扱っていたんですか?」と聞くと、小田さんが「いやいや」と答える。ニューヨーク・タイムス社ではなく、近在の銭湯などにポスターやチラシなどの情報を提供する「入浴タイムス社」だそうだ。高度成長とともに銭湯もなくなっていったことであろうから、この少佐殿はこの後何をしていたのだろうかと気になるところである。また、一つの電話回線を六社で使用していたので、どこかが電話料を滞納すれば他社も電話が使えない状況であったと聞いた。貧乏出版社の集まりだったのであるが、日本の戦後高度成長はまことに凄まじかったのであろう。およそ売れるとは思えない本を出している思潮社や青土社が、自社の建物を所有するに至るのだから。今はもう、昭森ビルに人影はない。

ラドリオに話を戻そう。ここのママさんはアイコという人である。ラドリオの名前の由来は、何でも叔父さんがレンガの研究にスペインに行っていたそうで、スペイン語でレンガはラドリーオと言うそうだ。それが語呂合わせでラドリオになったという。店内の壁にはレンガがはめ込まれていて、名前の由来からてっきりスペインのレンガかと思ったら、王子の造幣局のレンガだそうである。さらに昭森ビルの一階に使われているレンガは東京駅の北側にレンガ作りの建物が昔たくさんあって、そのレンガをもらって作っているそうである。どちらもレンガ御殿と言ったところか。このラドリオも改装したと聞いた。レンガはどうなったのだろうか。

出版社の前にあったことから、ラドリオは多くの編集者や詩人の行きつけである。もし東京都内の国文科の学生で、卒業論文が草野心平や田村隆一といった詩人がテーマなら、是非この店で話を聞くといいと思う。草野さんは酔ってとっくみあいの喧嘩をしないと人と仲良くなれないとか(ラドリオの店先で筑摩書房の古田さんと草野さんが大喧嘩したことは、ある業界においてのみ有名な話である。草野さんはいつもインバネスを着ていたそうで、マントも引きちぎれて飛び散ったそうだ。しかもこの二人、このときが初対面である)、田村さんには老後の貯金は一切なくってあとは香典を待つばかり、カードを見せては「このカードが目に入らぬか!銀行ローン、自己破産寸前なるぞ!」と言っていたとか教えてくれるはずである。因みに田村さんは、昭森ビルに度々、石鹸とタオルを入れたビニール袋だけを持って現れたそうである。石鹸とタオルを持ち歩いているのはいつでも銭湯に入れるようにするためで、昭森ビルに立ち寄るのは金を借りるためである。思潮社の小田さん、青土社の創業者伊達さんの手持ちのあるどちらかが千円ほど貸すのである。間違いなくそれは、銭湯代と酒代で消えている。勿論返してもらったという話を聞いたことはない。

田村さんで思い出したが、三省堂のならびに田村書店という古本屋がある。建物自体が傾いたような古本屋で、傾いた階段を上がって二階に行くとこの店の親父さんが、人の通れる隙間をかろうじて残すように積まれた本の奥にある机にいる。田村書店昔、祖父から学生時代に読んだ本だと言って一冊の古い洋書を貰ったことがあって、売る気は全くなかったが、今ではきっと高価なものに違いないと思い込み、田村書店の親父さんに見せたことがある。タイトルを訳すと「倫理学」であったから、あれはスピノザだったのか。もしスピノザの古い洋書ならそれなりの値で売れそうなものだが、親父さんに、「こういった本は今流行らないからね。いくらにもならんよ。ほら、そこ見てごらん、ヴァレリィの原書がたくさんあるだろ。ああいう本に祟られてね、ウチは傾いちまってるんだ」と言われたのを憶えている。古い洋書などで、どうしても読まねばならない本があって、しかし高くて手が出ない貧乏学生の諸君はこの二階で相談するといい。在庫があれば、本を開いてメモくらいはさせてくれるはずである。何度も通えば、椅子と机を借りられて、しかもコーヒーだって出てくることもあるのだ。長居したとしてもヴァレリーの祟りがあるくらいだ。スピノザの勘違いは遠慮したいが、ヴァレリーの祟り、大歓迎ではないか。

この田村書店の並びに、店名を忘れてしまったが、いわゆる小説本をたくさん並べている小さな古本屋がある。覗いてみると村上龍だとか最近の作家がほとんどで、特に見るものはないなと思ったら大間違い。この古本屋は安保闘争の頃、機動隊に追われている学生を積極的にかくまっていた店で、秋田明大、山本義孝などの本を隠し持っているのである。当時のポスターなんぞを見かけたこともあったが、あれはデモ体験者の中年の皆様が懐かしくて買うのだと聞いた。家の壁に「三里塚・・・」と書かれたポスターを貼るのもいかがなものかと思うが。といっても私の通った大学の研究室には、その世代の教授が主任だったものだから、日大闘争云々と書かれた貼紙が額に入れられていたのだが。

神田はあまり変ってほしくない街であったのだが、明治大学の駿河台校舎が巨大なビルになってしまい、景観は一変してしまったように思う。築百年以上の日本大学理工学部校舎も建て替えたのではないだろうか。学生時代私は一冊の本を手に入れるために神田にあるほとんどの古本屋の書棚を、丸一日かけて探し回ることが常であった。大概は、「こんな所に寺山修司の見たこともない本がある!」と余計な発見をし、余計な出費を重ねていたものだが。だからであろう、どんなに景観が変っても神田は落ち着くことのできる街なのだ。沖縄に暮らす今ではたまにしか行くことが出来ないから殊更、古本屋街だけは変らずそのままでいて欲しいと願うのである。