南アフリカと日本のマグロ漁

南アフリカについて学生の頃少しばかり学んだ。アパルトヘイトについての研究がメインであったが、それに付随して、日本との関わりや、風土といったものを調べることも課題であった。

この南アフリカを訪れる機会の最も多い日本人は、マグロ漁船に乗り込む漁師である。内陸からケープタウンの港を上空から見ると埠頭がいくつかあるのだが、一番手前に見える埠頭は日本のマグロ漁船の専用である。

日本のマグロ漁はそのほとんどが遠洋漁業である。遠洋といってもどのくらい遠洋なのか見当のつく人はそう多くはない。食肉流通に携る人でもきちんと把握していない人は多いであろう。日本のマグロ漁船は、三月に出航してケープタウンを目指す。東洋の島国から、アフリカ大陸最南端のケープタウンなのだから、これだけでも随分な航海である。ケープタウンに入港するのは四月で、日本漁船専用の埠頭は二百艘の漁船で埋め尽くされる。アパルトヘイト時代、日本は南アフリカから金やダイヤを大量に輸入していたため、南アフリカでは白人同様の待遇を受けることができた。といっても漁師達はアパルトヘイトが何であるか知っているわけではなく、ただ酒場を求めて港町に繰り出す。遠洋漁業の漁師の幾人かと私は話をしたことがあるが、どんな政治的な事情があろうとも彼らには港は港なのである。

漁船はケープタウンから、マグロの群れが東へ移動するのを追い、インド洋へ出る。基本的に冷凍庫がいっぱいになれば日本へ帰るのだが、とてつもなく強運であったとしてもミクロネシア付近までいかねばならない。ミクロネシアでいっぱいにならない漁船は南米のチリ沖までゆく。マグロを追い、世界で最も激しい漁場を渡り歩くのである。実のところ、チリで冷凍庫がいっぱいになる船は年によっては半分程度である。それでもいっぱいにならない漁船は南アメリカ大陸の南を廻り、大西洋へ出てさらにマグロを追い、再びケープタウンに戻る。ここまで約一年半の航海である。冷凍庫をいっぱいにするために南半球を二週するケースも珍しくはない。

労働は確かに過酷だが、実入りもいい。船長クラスで四千万円、下っ端の乗組員でも一千万円くらいにはなる。彼らはケープタウンで約十万円を使う。他の国のマグロをとらない漁船と比較すれば五倍の収入があるのだから、ケープタウンの港町としてみればこの上ないお得意である。専用の埠頭があるのも合点がゆく。

アパルトヘイトが実施されていた南アフリカの金を、日本をはじめ西側諸国は大量に輸入していた。アパルトヘイトが非人道的と知りながら金にめが眩んだため、経済的措置をとるどころか大量に輸入していたのである。結果、南アフリカの白人を潤し、黒人にさらなる苦しみを与えたことになる。ゴールド製のジュエリーは、西欧から輸入されたもの、国産のものであってもそのほとんどの原産国は南アフリカである。特にバブルの時代、こうしたジュエリー製品を見につける人が増えた。同時にそれは黒人の苦しみまで身につけていたことにある。

そして今、我々はスーパーや魚屋に並ぶマグロをケープタウンを経由してきたものだということを知らずに買い求めている。マグロは日本食に欠かせないものであるが、生で食べることのみが日本的なだけで、素材そのものは全く日本的ではない。日本近海産のマグロは高値をつける一方だ。マグロの遠洋漁船に乗り込む漁師達は口をそろえてこう言う。「日本のトロ、あんなのは本当のトロではない」と。彼らは今もマグロを追い、ケープタウンを目指している。