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墨子について

墨子は本名を「ぼくてき」と言う。生没年すら定かではなく、孔子や孟子、荘子など中国の思想家と比較してもその存在は特異なものである。墨子を師とする弟子の集団、つまり門徒は墨家と呼ばれ、儒とは異なり、単なる学術・思想の集団ではない。組織力が極めて強く、勢力は強大、武装した軍事集団であった。春秋末、戦国時代より約200年の間、その勢力を保ったが、漢帝国が建国される頃には影も形もなくなってしまう。墨子の生没年も不明であれば、墨家集団の消滅もまた謎が多い。

さて、肝心の墨子であるが、孔子の論語には一切墨子については書かれていない。強い勢力を持つ墨家であり、政治について多くを説く教えであるから、もし墨子が孔子と同時期かそれ以前に活動していたのであれば、当然孔子は少なからず触れているはずである。であるので、孔子よりは後の人物である。そして、孟子は墨家思想の流行を批判しているので、孟子よりは前の人、となる。つまり紀元前4世紀よりは確実に前だ。

墨子の思想は一言で言えば博愛主義であり、墨子は自らの理論を「兼愛交利」と呼んだ。天下の利益は平等より生まれ、不利益は差別より生じる、というものであり、孔子の説く「仁」は長子のみを特別扱いする差別であると批難し、平等に愛するべきであるとした。これが広まり、互いの利益を尊重することが「兼愛交利」である。

そしてもう一点、重要な思想がある。それが「非攻」である。墨家には「墨者の法」というものがあり、「人を殺す者は死し、人を傷つくる者は刑せらる」とある。これは殺人を犯したものは死刑であるという個人の刑にも相当するが、侵略戦争を行うものにもあてはめられた。先にも述べたが、墨家が他の学派と全く異なるのは、専守という形であるにせよ、戦闘集団であることだ。例えば侵略されている国が墨家に助けを求める。墨家はそこに応援を派遣し、軍師の役割を担う。この様子は映画、「墨攻」によく描かれている。防衛専門の集団として、確立し、権威を得た墨家は儒教と並ぶほどの勢力となる。しかし国の統一が進むにつれ、墨家は不要な存在になり、その勢力は脅威ともなったのであろう。秦の時代に滅ぼされたものと思われる。また漢帝国においては儒こそが学であったから、墨家の入り込む余地は無かったはずである。それから2,000年、墨家思想は全く注目されることなく、現在に至る。

近代になると、墨子研究が盛んに行われるようになる。その理由は、私も当初気になったことでもあるのだが、墨子の思想はキリスト教に極めて近いのだ。墨家の活躍した時代は紀元前であることから、もしや中国より思想が伝来したのではないかと想像してしまう。それほどよく似ている。墨子が、「汝の敵を愛せ」と言っても何の違和感もない。また、キリスト教では「神」、墨家思想では「天」であるが、中国での「天」はキリスト教の「神」の扱いにも通じるところがある。そしてもう1つ、気になることがあった。

墨子の思想は全71篇であるが、2,000年放置されており、18篇が不明、残っているのは53篇である。このうち、最も重要な最初の6篇までを見ると、

  1. 賢者を育成(愚か者の改造)
  2. 人材は国の宝
  3. 為政者は民衆の規範
  4. 他社を犠牲に利益を得るべからず
  5. 自他を等しく愛せ
  6. 侵略は国家の犯罪
となる。このうち人材については、優秀な人材を人民から為政者とすること、などが語られている。これらのことから私は1人の人物の名を連想した。聖徳太子である。考えすぎなのかもしれない。だがすべてが聖徳太子に当てはまるように思えてならない。

それに大勢力を誇った思想集団が完全に抹殺されたと見るよりは、「散った」者がいると考えるほうが自然である。長きに渡り放置されてきた思想であるからこそ、今後の研究次第では、世界の歴史との関連が見えてくるかもしれない。私自身も墨子については映画、「墨攻」を見てから関心を持ったばかりだ。今回はとりとめもない文面となってしまったが、墨子についてさらに詳しく書ける日が来るよう、今後も墨子を読み解いてみたいと思う次第である。