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カムパネルラとカンパネッラ

宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」に、カムパネルラという少年が登場する。童話の主人公、ジョバンニが尊敬する少年で、溺れた友人を助けるために死んでしまう。ジョバンニはカムパネルラと銀河鉄道に乗車し、幻想的な宇宙を旅する。

この童話を小学校で習った読者の方も多いであろう。そしてこの童話を記憶している人は大抵、「銀河鉄道の夜」を嫌いではない。特に魅力的な登場人物がカムパネルラだ。彼の人間性や思想は、何となく想像はできるものの、言葉にするのは非常に困難である。恐らく、小学校の教諭も生徒に説明するのは大変なことであろう。その参考になるというわけではないが、今改めて「銀河鉄道の夜」を読み返すと、想い起されるのはルネッサンス期の哲学僧、カンパネッラである。カンパネッラの名を私が知ったのは出版社に勤務するようになってからなのだが、宮沢賢治が重要な登場人物にこの哲学僧と同じ名を付けたのはそれなりに意図があったように思うのである。

哲学僧トマーゾ・カンパネッラはボルタやブルーノなどと共に、ナポリの精神伝統に連なっている思想家である。若い頃にはガリレイと交友があり、近世ユートピア思想の先駆的な「太陽の都」(1623年)の著者として知られている。カンパネッラは、地球、星、宇宙のすべてが感覚を有しているとみなし、その中で生きる人間がいかに卑小であるかを説き、慢心を戒める。このことは彼の残した多くの詩篇に随所に表れている。

また、「自惚れに対する素晴らしき発見」という詩の中では、

われら以外のものはすべて野蛮で無知にして、神はわれらのみを眺め給うと信じさせ、かつまた、神は僧職にあるもののみを救うと信じせしめり。かくして各人は自己のみを愛するに至れり
とあり、ここからは当時僧職にあるものたちが、「魂の救済」において特権化されていたことに、カンパネッラが厳しい批判の態度をとっていたことがうかがえる。

このカンパネッラの世界観と人間像は「世界とその部分について」という詩によく出ている。

世界は大きく、しかも完全なる生き物、神の御姿にして、神を讃え、神に似たるもの。われらは不完全な虫にして、いやしき生き物、われらは世界の体内に巣食いて生きるもの
「銀河鉄道の夜」を読まれた方なら、もうカムパネルラとカンパネッラとが重なって見えてきたはずである。カンパネッラの宇宙感覚、生命感覚を片隅に置いて、「銀河鉄道の夜」をもう一度読まれてみてはいかがであろうか。