有事三法案の閣議決定、といった報道が今月なされた。当然、米軍基地を抱えている沖縄でも大きく取り扱われた。沖縄タイムスによれば、各市町村長の意見は賛否に分かれ、儀間浦添市長は原潜入港を含め那覇港湾(軍港)の拡大を容認する姿勢を示したそうである。沖縄在住の人の中で、米軍の撤退を希望している人が見れば信じられないことである。だが、現実は、こうした結論を出す人が市長に当選しているのである。同じような見解を持つ市民が多くいるであろうことは簡単に予想できる。恐ろしいまでに楽観的に考えれば、それでも本当は皆基地がなくなることを望んでいると言えようがそれとて基地撤退を望む人々の虚しい希望に思える。
私はあらゆる軍隊を否定する。有事三法案とはまことに愚かな法案である。確かに過去、わが国でサリンを用いた無差別殺人や日本海に武装した不信船の出現等があった。米国でのテロも記憶に新しい。だがまず言えることは、国内で起こった事件に関しては警視庁の努力次第で未然に防げたはずである。すくなくともサリン事件は防げた。国内におけるテロや事件を未然に防ぐのは、軍隊の仕事ではなく、警視庁の仕事である。国外からのテロ、これを防ぐために武力強化が果たして本当に必要であろうか?国民を守るだとか専守防衛などときれいごとを並べてみても結局は戦争の肯定、人殺しの肯定である。防衛の裏返しは攻撃である。
ではどうするんだ?と今の首相は喚きそうだが、テロ対策を考える時点で、わが国はどこぞの国家や民族から攻撃されるような外交をしてきたと明言しているに他ならない。何よりも大切なのは、武力に頼らずに攻撃されない国家を目指すことである。どの国家に対しても愛想良くするのではなく、必要以上に干渉せず、自国が繁栄しても決して浮かれることのない国家をつくり上げれば可能であると私は思う。まるで夢物語のように思われるかもしれないが、こうした方向性で考える政治学者がいれば、何かしらもっと具体的なことを語るのではないかと思う。いずれにしろこれは大変な勇気を必要とする。テロが起こりうることが昨年の米国でのテロで証明されたと言うのならば、この勇気は、もっと前にガンジーやキング牧師等によって確実に証明済みである。
日本人は平和ボケしたのではない。平和とは何か、それを知らずに生き長らえてきたのではなかろうか?今まさに我々は戦争と平和との狭間にいて、戦争の方へ、一歩足を踏み出そうとしている。そんな気がしてならない。有事三法案を唱える者、賛同する者は、本当の戦争好きか、軍事産業の利益に目が眩んだか、深く考えていないかのいずれかではないのか?いずれにしろ戦争を肯定することになると私は思う。一人の国民として私は平和について、戦争についての議論が国会で行われることを希望する。有事三法案、これは本当に我々に平和をもたらすものといえるのであろうか。日本の目指す平和とはこれで良いのだろうか。最悪のシナリオを想像するのは私だけであろうか?