農業にも哲学がある。農学史、農業・農村をめぐる問題群および役割群の解明、そこから導かれる農業の価値目標の設定と実践への方向、研究方法と体系、などの考察がそれである。そこには現代農業に対する反省と自覚、問題解決への創造的形成的努力によって、人間的「生」を全うしうる希望の場の実現に向けた強い意志が流れていなければならない。人間的「生」の場の形成とは、現代社会の要請する主要な価値としての経済価値、生態系環境価値、生活価値の3つを調和的に実現することである。そのためには、生活世界としての「地域」という場を私は最も適合的であると考える。
人は長い狩猟採集段階から脱し、家畜や作物を育成利用する農業社会を形成した。人間と自然とは、家畜や作物などとの相互依存的共生関係、害獣や雑草との相互排除的競争関係、一般野生生物との棲み分け的共存関係という三様の関係を結んでいる。しかしそこには、それぞれに自然と人間の分断の問題が生じている。ディープ・エコロジストのように、自然の権利、動植物の権利を主張し、人間と動物とを同次元におく考え方も数多く登場してきているが、何よりも人間は食べる存在であることを忘れてはならない。安易に「共生」が語られているけれども、それは人間の生の苦闘の果てに生まれるものであり、今後も人間の反省と自覚の上に構想される適切な自然との均衡の世界の歪みに他ならない。
科学が、科学における価値の問題と科学者の責任という重大な問題局面にたっている今、現代農業の価値目標についての考察が必要不可欠であると私は考える。何故なら農業は、積極的に価値目標を立てその実現へと向かう科学に他ならないからである。第二次大戦後、農業研究が追求し、あるいは追及を要請されてきた主要な価値は、以下の3つであった。
- 生活水準性、生活水準上の経済価値
- 生命と環境のための生態環境価値
- 生活と社会を重視する生活価値
①は「生産の農業」、②③は「生の農業」と言えよう。今後は、現在トレード・オフの状態にある、経済価値、生態環境価値、生活価値を地域において調和的に実現させることを農業の価値目標としなければならないのである。だがそれが目標の初期段階であることは言うまでもない。何故なら、これまで手を取り合うことの無かった3つの方向性をお互いが理解し、取り入れるという段階でしかないのだから。例えば光触媒という技術が最近開発中であり、注目を集めている。栽培に使用された農業廃水から残留農薬を取り除き、作物、土壌からも残留農薬を取り除くことを目指す技術である。確かにこれは、調和を目指す技術となりえるであろうが、農薬を撒くことに変わりは無く、土壌中には微生物すら存在しない状態で栽培された作物を我々は食することとなるであろうし、残留農薬を分解するという利点から、農作業の減少を目的として、より毒性の強い農薬を撒布する可能性とそれによる大気汚染が懸念される。ある程度の規準が必要ではあるが、薬品メーカーとの対立、また反対に有機認証団体や有機認定農家との対立は必至である。
これ以外にも私には想像もつかない問題は多々あるであろうが、調和的価値を目指す際の重要なこととして、持続的農村地域の完成が考えられる。ここで地域とは、中小都市との結合を指し、この結合を完成であるとする。持続的農村地域の形成といっても、1個の農村が単独で到達する事のできるものではなく、それは必ず、中小都市と一体になっていなければならない。中小都市との結合の上に、農外就職の場が求められ、様々な生活上の利便や、娯楽の機会が充たされる。こうした都市と農村の関係との研究をいち早く取り入れたのはドイツであるのだが、我々はその歴史的形成過程の諸段階を考察し取り入れていかねばならない。同時にそれは、大都市集中、一極集中の道をたどった戦後日本の国土政策の欠陥、地域政策の軽視を反省する作業である。ここで最も忘れてはならない事は、農業と農村の発展は、内発的革新とその普及によって完成されるという、いわば農業発展の基本である。さらに、世界人口の約7割を占める、東南アジア、アフリカ、中南米に位置する発展途上国と呼ばれる諸国の厳しい現状をふまえ、それら諸国の農産業の方向を射程内に入れた研究、そのための農業思想の確立が望まれる。
21世紀の社会は、自然と人間との共生を前提として再構築されるべきだという意見が多い。だとすれば、生態系の科学として最も深く関わりあってきた農業研究は、いっそう研究の推進にあたらねばならない。大地、自然、第一次産業をベースにした、地に着いた文明、文化の時代を構想、構築するために。
※故藤本敏夫氏に感謝の意をこめて