ナイジェリアのオゴニ民族

ナイジェリアには、約250の民俗が生活している。オゴニはその中のひとつの民俗であり、人口は約50万人である。ナイジェリアはアフリカ中西部に位置し、ニジェール川流域を占めギニア湾に面する人口一億一千万人を超える国家だ。

アフリカには軍事国家が多い。理由として考えられることは、欧州の国家により引かれた植民地の境界線を現在の国境として受け継いでしまったことにある。植民地政策により引かれた境界線は、そこに住む人々の文化を考慮せずに引かれたものでる。そのためこの境界線を国境としてしまうことは、多数の異なる文化を持つ民族が一つの国家を形成することになる。過去に対立していた部族がある日突然共に暮らすことを迫られるというケースが多く、内戦の原因ともなった。結果、ほとんどのアフリカ諸国は国家の治安維持のために軍事国家を形成しなければならなくなる。だが、軍事政権というものは他国に支配されていないというだけで、体質は植民地支配と大差はない。植民地としてのアフリカは支配する国家の利益、ただそれだけのために支配されてきた。軍事力による支配もまた、国家と軍部の利益を最優先にしたものとなるのに、長い時を必要とはしなかった。ナイジェリアはそうした国家の一つである。

オゴニの人々の暮らすオゴニランドの悲劇は、大量の石油が発見されたことに始まる。ナイジェリアの石油の大半はオゴニランドのものであった。オゴニランドはギニア湾に面しているため、石油発掘と並行して港湾などの開発が急ピッチで進められた。1950年代ごろから、オゴニランドの環境破壊は進み、オゴニランドは甚大な被害を被ってきた。今では、かつてそこが半農半漁の土地であったとは思えない程に荒廃し、硫黄の臭気が蔓延している。50万人が暮らしていた地域である。決してせまい範囲ではない。

オゴニランドは夜でも明るいという。だが、都会のようにネオンなどで明るいのではない。地表から噴き上がるガスの炎によってだ。

ケン・サロ・ウィワオゴニ出身の作家ケン・サロ・ウィワは、MOSOPオゴニ生存運動を発足、その活動の象徴的存在となった人物である。小説家であるケンの作品は、彼自身のプロデュースによりナイジェリアでテレビ放映され、当時国内最高視聴率の番組であった。また、彼の作品はイギリスでも受け入れられ、評価されてきた。そんな彼が事実上作家業を完全に停止して環境問題に取り組み始めた。MOSOPの正式な発足年号は資料がなくお伝えできないが、1990年頃の前後であろうと思う。

MOSOPが環境問題を中心に活動していたのは、恐らく軍政府を必要以上に刺激しないためと思われる。なぜなら当時、そして今もナイジェリアでは軍に反対する者の暗殺、村落へは襲撃等、国家によるテロリズムが公然と行われているからだ。このテロで、オゴニ人も2000人を超える死者を出しているのである。ケン自信、温厚な人柄であったので、活動は非暴力を基本に行われていた。ケンが演説している様子の写真を見ると、身長160cmくらいの卵のような体型の彼が、小さな木箱の上に立って笑顔で演説している様子が写っている。左手に愛用の小さなパイプをもちながらの穏やかな演説である。もっとも早くケンの呼びかけに答えたのはグリーンピースであった。とはいえまだまだ認知度は低く、世界、特にイギリスがオゴニに注目したのは1992年、ケンの逮捕がきっかけであった。彼は裁判なしで数ヶ月拘留された。当時のオゴニランドはパパギンダ将軍の軍部に支配されていたが、イギリスでの報道が功を奏し、彼は釈放される。パパギンダはその後軍の最高権威の座をアバチャ将軍へ譲る。理由は、総選挙による民政移管をスムーズに行うためと発表された。民主化への動きに、ナイジェリア国民は歓喜した。恐らくケンもその一人である。

1993年、予定通り総選挙は行われた。人々はこぞって投票所へと出かけ、民主的な手続きにより、アビオラ氏が大統領として選出された。だがその直後、アバチャ将軍は選挙を全く無効なものであるとし、アビオラを投獄してしまった。ナイジェリアはさらに暗黒化してしまったのである。

1994年5月、ケンはオゴニランドでの集会で演説するために車で出かけるが、道路封鎖にあい自宅に帰される。集会はケン不在のまま行われ、暴動が勃発、軍政府に協力的といわれていたオゴニの長老4人が殺害された。軍はケンを集会の首謀者であるとして逮捕監禁した。彼が集会に参加しておらず、車は会場と反対方向へ走っていた事実は完全に無視された。一年の投獄の後、軍事法廷でケンは死刑判決を受ける。その瞬間、世界はナイジェリアがどうしようもない程に墜落していることを認識する。

世界的に報道されていることもあってか、世界各国の環境保護団体などは最悪の事態は避けられるのではないかと期待していた。また時を同じくして、ニュージーランドでは旧英国植民地国家首脳会議であるコモンウェルス会議が開催されていた。人々は会議に参加していた南アフリカ大統領、ネルソン・マンデラにも期待していたのである。マンデラはナイジェリア政府を刺激しないよう主張した。が、各国マスコミはこぞってナイジェリア非難を報道した。アバチャは追い詰められ、裁判の画像を公開に踏み切る。正当な裁判であったと主張したかったのだ。しかしそこに写し出されたものは、軍服の金モールをひけらかし、退屈そうに書類を手渡しあっている将軍達の姿、判事にいたっては、何も考えていないといった表情まで浮かべているありさまだ。この画像公開によりアバチャは自分の首をしめてしまう結果となり、世界的な彼の立場は最悪なものとなった。それでも彼にはまだ固執するものが一つあった。国内における軍の威光の保持である。その目的のため、ケン・サロ・ウィワは1995年11月10日、絞首刑となった。

彼の死刑に対する世界各地での抗議デモとは反対に、ナイジェリアはさらに軍部による国家支配を強めていった。MOSOPはイギリスに拠点を構え、ケンの遺志を継ぎ活動中である。

日本という経済大国で生活をしている我々にどれほどの実感を持つことが出来るであろうか?

野生生物の話ではない。ナイジェリアで存亡の危機にあるのは、オゴニという名の我々と同じ人間である。

(追記)

ケン・サロ・ウィワについては、とてもではないがこれだけで書き足りるものではない。ナイジェリアの現状も同様である。お読みいただいてナイジェリアに関心を持たれた方がおられるのなら、この上ない喜びである。だが、日本ではナイジェリアについて、ケン・サロ・ウィワについて深く知るのは不可能に近い。アフリカ諸国のことが報道されたとしても、遠い国の話題として深く扱われることはない。東京近郊にお住まいの方は、国連大学の資料をご覧になることをお勧めしたい。